雑草でもいい

年内に滞納している何ヵ月分もの家賃を全額支払わないと、住むところを失う

子供は学校でのコミュニティがある

急な転校となれば子供の大切なものをあまりに急に親の都合で奪ってしまう事になる

妻の安住の居場所を失う事になる

しばらくはどちらかの実家に子供達と生活してもらうという肩身の狭い不憫な思いをさせてしまう事になる

そもそも俺に実家はない

あったけど抵当で取られ無くなった

今は両親は別居しており両親共に狭いアパートに暮らしている

 

俺は自営業だからまだ希望はあるが状況はかなり厳しい

ここの所、事業を軌道に乗せるどころか持病の躁うつ病が辛くて、やらなきゃいけない事にすら手を付けられない日々が続いた

もうかなり崖っぷちだ

今までどんなに苦しくても借金だけはしてこなかった

今回ばかりは致し方ないのかも‥

いやしかしまだ約2ヶ月ある

今月営業で必死こいて稼げばなんとかなる

というかなんとかするんだ!

俺には本来その力があるんだ

だからこそ起業も出来たし

まだまだ小さいけれども収益をあげる基盤も作れた

俺はどうしようもないクズでダメ人間で落ちこぼれだけども

俺なりに必死で生きてきて培ってきた力がある

それを何ふり構わず泥臭く精一杯発揮すればまだ家族の住むところを守れるかもしれない

希望はほんのかすかにだけどあるんだ

もうさ夢とかやりたい事とかやり甲斐ある仕事とかさ言ってられないよ

ここまできて俺にとって仕事はさ家族の為のものであって合法で少しでも世の為人の為になって安定して養っていけるものであれば何でもよくて

それが若くして子を授かった俺の一つの使命であり宿命であり3人の子供を全員立派な人間に育て上げる事がまず目の前にある大事な使命なんだよね

俺はその中で一日一日生かして頂いてる事を感謝して小さな幸せをしっかり拾っていって地味でもいいから生きてきてよかった頑張ってきてよかったって思えるように生きていくまでなんだよな

もう恥もプライドも夢も何もかなぐり捨てて

事業においては感情なんてものも捨てちゃって毅然と猛然と淡々と愚直なまでに突き進んでみよう

もう沢山中途半端やってきたんだ

会社経営だけは意地でも続けてみよう

2年3年、5年10年続けてみた先に

続けてみないと見えない景色みてやろう

クズでダメ人間で落ちこぼれで双極性障害な俺だけど這い上がってやるんだ

沢山辛い思いもしてきたし若い時から家庭も持って苦労も沢山してきたんだ

人の心だけはわかってるはず

神様は俺の味方だ!

映画レビュー「佐賀のがばいばぁちゃん」

今まで敬遠していたというかあまり興味がなかったがみてみた

島田洋七とそのお婆ちゃんの話

 

一言でいうと「清貧」って素晴らしい

 

ジーンとくる良い映画

誰の心にもある清く透き通った心

それを思い起こさせられるようなそんな映画

映画レビュー「フェンス」

俺の大好きなデンゼル・ワシントン主演兼監督の素晴らしい作品

デンゼルとディカプリオが出てる映画はまず間違いない

この映画も一言で凄い映画だ

まず舞台となるのは劇中の会話から察するに第二次世界大戦後のアメリカで黒人労働地区のとある家庭とそれを取り巻く人々

そして劇中の舞台の9割以上が主人公の家だ

つまり大きな動きはない

会話だけで物語は進行していく

その会話の中で展開される人生哲学 生き様 家族の有り様 仕事や地域との関わり方 親族や友人と繋がり 当時のアメリカの社会的問題や 差別意識 

一つの家庭の一つではないストーリーだ

 

まあとにかくペチャクチャペチャクチャと爽快な位にトロイ(デンゼル)が喋る喋る

 

その中で強く印象に残ったのが

息子のコリーに自分を好きではないのか問われた時に父トロイが返した言葉

「人が自分を好きかどうかなんて気にするな 大事なのは正しく扱われているかどうかだ」

強烈だ

 

 

 

夜明け前

今日はかなり早起きだ

朝というかまだ夜明け前の3時半頃起きた

まあこれでとりあえず昼夜逆転は治るだろう

 

ここ数日の間に自分は双極性障害だと受け入れる事に至り

しっかり向き合う為の第一歩として定期的な通院を生活に定着させようと考えた

しかし病院に予約したら最短で一週間後という事だ

まあ普通だろう

 

前にも書いたが俺は起業している一応経営者というやつだ

しかし実の所は誰も雇わず事務所も借りず仕事も不安定且つ薄利な訳で自堕落な個人事業主のような感じだ

それもそのはずだ

元々起業に至った経緯は勤めていた会社を体調不良で退職し

これ以上人に迷惑を掛けたくない

これ以上自分を情けないと失望したくない

という思いからスタートしているからだ

 

それが起業当初からつい一ヶ月半前までは躁状態でハイになり自分を過信し偉大な経営者だと勘違いをしていて人よりも裕福になれる成功は目前だと本気で思っていた

うまくいかなくて当然だ

うまくいかないというのか行き詰まるというのか何というか途中から推進力を失った船のようにユラユラと彷徨いはじめ本当はやりたい訳じゃない好きでやってる訳じゃない

やる気が起きない

何故こんな事してる?

となってしまう

あっという間に暗くて辛い鬱状態

こうなると心身共に辛くなる

 

本来の現実的な地に足をつけた生き方を考察し記録に残してみる

  • 人によく見られようとする行いをしない
  • 3児の父である自分の立場を自覚する
  • 高望みしない理想ばかり高くしない
  • 分相応の中に幸せを見出しながら一ミリずつの成長と進歩を望む
  • 双極性障害と向き合い恥じる事なく病気と付き合っていく
  • 躁の時にはよく熟考して行動し、鬱の時には今日と明日だけ生き抜く事を考える
  • 事業の成功というよりも如何にして家族を養い生き抜くかに重点を置きその中で分相応の楽しみを見つけ生きていく
  • 夢は寝てる間に見るものだ

 

思えば沢山の人に支えられて生きてきた

支える支えられるというのは立っている者を倒れないように支える様だろう

倒れてしまった者をまた立ち上がるまでの間施しを与えて待つ事は支える支えられるとは言わない

さすがに自分が倒れ立ち上がるまでの間ずっと施しを受けて家族もろとも生かしてもらっていた事など無い

しかし僅かながらも施しにより助けられた事は有る

支えと施し

神様ご先祖様守護霊様友人知人家族隣人まで

全ての人達に支えられ

時には僅かな施しまで頂き生かされてきた

「お還ししてこなくてスミマセン」

「がめつくてスミマセン」

出来る事を精一杯やり

分相応の幸せに目一杯感謝し

一ミリずつの成長と進歩を望む

これが生きるという事なのではないだろうか

 

幻想とトンネル

思いかえしてみれば

俺は双極性障害(躁うつ病)で間違いないという自覚がでてきた

うつ病だと思った事はある

心療内科にいって診断を受けた事もある

しかし診断内容は忘れた

というより直近の躁状態により頭の中から無かった事にしてしまい

うつ病だったか躁うつ病だったかよくなんて言われたかよく思い出せない

しかし精神安定剤睡眠導入剤を処方されている事から躁うつ病と診断されたんだろう

思えば

双極性障害(躁うつ病)のバイオリズムに振り回され左右されコントロールされ生きてきた

思えば小6までは割と安定していた

あくまで割とだ

小6までは躁うつ病じゃなかったという事ではないんだろうが割と安定してる方だった

中学に上がると新たな出会い 様々な心躍る刺激 恋 

これらをきっかけに今思えば明らかな躁状態となっていた

そしてしばらくすると何がきっかけかわからないままフッとフワッと

うつ状態

暗いトンネルに彷徨い込み

しばらく歩くとまた光が差し躁状態

そしてまたトンネルへと彷徨い込む

これを繰り返しながらも自分が異常だと普通じゃないと気が付けない

何故なら

躁の時はうつを忘れ自信に満ち溢れ突っ走る

トンネルは確かにあったのにその中にいたのにそれを無かった事にするしようとする

うつの時は躁状態でした事を後悔しその重圧にまた苦しめられるが決して躁の反動だとは思ってない

理由や原因もわからないまま

まさに彷徨い込むかのようにうつの暗いトンネルに入る

そしてまた躁になるとそんな事を忘れて取り憑かれたように自分の器量や力量を超えた行動を起こしてしまう

この繰り返しの中でうつの時期があるのには気付けても躁の時期があるだなんて

自分が正常だと自信満々に外の世界と接してきたその時間こそが異常だなんて

そしてそれがまたうつを呼び起こしうつを深め自分を苦しめている要因であり負のスパイラルだなんて

気付ける訳がない

自分の全てを自らで否定し幻想の中で生きてきた人生を認めるだなんて

恐ろしい現実だ

しかし俺は双極性障害

間違いないんだろう

ようやく現実に足をつけ歩き出す時がきた

長きに渡るトンネルと幻想の往復生活から脱して現実という地に足をつけ歩く時がきた

その扉の前に立っているのかもしれない

思えばよくフワフワしている地に足をつけて生きろなどという言葉をぶつけられた

誰にかと言えば人間というより

オカルト的だが霊的なやつだ

つい一ヶ月位前に行った人生初のスピリチュアルカウンセラーにも言われた

子供の頃に読んだ動物占いかなんかの占い系の本でもそんなようなメッセージがあり妙に引っ掛かり憶えていた

地に足をつけてって一体全体俺のどこが悪いんだどこがフワフワしてるってんだ?

と思っていたんだ

なんだかディカプリオ主演のシャッターアイランドみたいだな

精神異常者達を隔離する施設のある島で患者達の管理をしていたつもりの人間が実は自分が結構なヤバイ奴だった的な

そんな話だった気がする

なんだかこわくなってきたわ

俺の人生なんだったんだろ

これからようやく地に足つくの?

 

 

不考〜思いのままに

考えずに書こう

もっと読んでもらおう

アフィリエイトで小金を稼ごう

いい記事を書こうだなんて思わず

自分の書きたい事を書きたい時に書きたいように思いのままに吐き出すアウトプットの場にしていこう

くず

ここの所

昼夜逆転をしている

自営業だから

すぐすぐには支障はでてこないが一ヶ月や一年というスパンで見ると

かなり売上に支障をきたしている

余裕も全くないのに

考えると辛いものがある

睡眠相後退症候群と診断された事も

双極性障害(躁うつ病)と診断された事もある

自分は病気なんだと真摯に向き合うべきなんだろうか

 

ブログタイトルの「くずあんどすたー」にもある通り

俺はクズだと言う表現をしている

これは一般的なクズといわれる

ギャンブル アルコール 借金 DV 寝取り 女癖 詐欺 イジメ 等とは違う 

まあ女性は好きだが上手く遊べてないだけだろう(笑)

俺が自分をクズだと表現する要因は

自分の情けない腑抜けっぷり

社会不適合的な今までの生き様

それと俺は結婚している子供も何人かいる

(何人いるかは特定に繋がるかもしれないから秘密 大家族ではない)

だからこそ家族に対して最低限の生活しかさせてやれてない自分に対する不甲斐なさ

甲斐性がないというのだろうか

それによって、いつも精神的に余裕はなく心此処にあらずのような状態で接している事が多い

そもそも自分は本来もっとクズなんだと思う

それを家族の存在がせき止めているような所がある

そこで家族に感謝する気持ちで一杯になるのが普通というか真人間なんだろうが

俺の場合2割位は感謝する気持ちがあるが

8割は邪魔だと思う気持ちがある

だからこそ自分はクズだと思うのだ

それでいて愛してない訳ではなく愛は確かにある

叶うならば自分は二の次で

まずは妻や子供達を報われた豊かな生活にしてやりたいとも思っている

しかしどこかで分離した思いがあり

家族には豊かに幸せな生活を送ってほしいと思ってる

しかし実際は自分を犠牲にして身を粉にして泥臭くコツコツとひたむきになんてしたくないと甘えてる逃げている

自営業も強い意志や実現したい目標をもって起業したわけではなく雇われない生き方雇われたくない自分で自分の意思でマイペースに自由にやりたい おまけに沢山稼いで良い生活をしたいなどという理由だ

逃げたいという思いは時として自殺すら考える

加入している生命保険で死亡保障が降りれば自分が生きているより家族は楽できる

そんなふうにも思うからだ

 

とりあえず今回はここまでにして

今後も自らのくずっぷりを少しずつ披露していこうと思う